ラディカルな転倒

一般企業で働いています

今年は、今までの人生でも、とびっきり早く時間が過ぎた1年だった。そして、これまでの人生の悲しみ、苦しさ、楽しさ、嬉しさ、弱さ、面白さをまとめて反復したような1年だった。

不思議なことに、カレンダーで年初の出来事を振り返ると、遥か遠い昔のことのように思える。2023年1月の出来事が、中学生の頃の出来事と同じくらいの遠さにあるような気がする。過去は、実際の時間的距離にかかわらず、一緒くたに「過去」のパッケージでひとくくりにされてしまうのだろう。

1-3月の俺は、就活をしていた。なんとなく特徴のあるBtoBの会社を受けて、お祈りメールの受信を繰り返していた。自分の社会的存在価値のなさを嘆き、精神的不安定さからメンタルクリニックに行ったほど。脆弱だ。ちょうど、高校生の頃に感じていた精神的落ち込みを反復した。

MSという会社に出会い、MN太郎の動画を見て、この会社に強く行きたいと思うようになった。その強い意志から、ゴリ押しでMSに受かった。Kはこちらからお祈り申し上げた。MSの尖った感じと少しrigidな感じは、俺に合っている。このとき、僕はこの会社に没入していた。受験勉強やゴルフの没入に近いものだ。

6月から、バイトを始めた。コミュニティの素晴らしさを感じた。みんないい人ばかり。快活なのだ。屈折してる人はほとんどいない。不足に積極的に入るのは、承認欲求から。「人のため」は実は「自分のため」。純粋に「人のため」に何かができる余裕や強靭さが俺にはまたない。脆弱だ。しかし、ここでは中学時代に経験した「ともだち」の楽しさを反復した。

9月に、インドネシアに行った。没入のない享楽は面白くないことを知った。言語が通じることの尊さを感じた。

10月、英語とその他諸々の勉強を始めた。しかし1ヶ月くらい経つと刹那的な快楽を求めるようになった。継続性のなさを反復した。残りの学生生活の充足を求めて、11月や12月、知らないバーに行ったり飲み会に頻繁に参加するようになった。たくさんのお金を消費して快楽を求めた。これは、ある種のスタンプラリー的行為。「やってて楽しいことやれ」の精神には反しているが、今の俺にはそれを乗り越えられる強靭さがない。脆弱だ。

そんなこんなで1年の終わりに俺は今またインドネシアに来ている。

脆弱さとは、穴である。付け入る隙がありまくるのだ。穴が拡大して、メンタルクリニックに行った。穴を埋めようと、不足に入った。穴を埋めるチャンスが今後ないと思い、沢山飲んだ。

僕は、脆弱だ。すぐに脆さを露呈する。高校以降の人生を俯瞰したときに、ひたすらにこの自分の「弱さ」を感じてきた。なぜ弱いのか。それは自分の存在意義を獲得できていないから。だから、自分の「生きる意味」や「社会的存在意義」を過剰に求めてしまう。意味のある出来事で人生を敷き詰めたいし「ここにいてもいいよ」を欲する。

弱さは、そこから来ている。飲み会をなぜ僕は希求するのか。それは、アルコールを摂取することで存在意義改造から抜け出すことができ(不健康な没入)、かつ仲間と同じ時間を共有することで「社会的存在意義」を獲得しようとしているから。

俺は自分の軸がない。享楽や欲望に弱い。インスタントな快楽で穴を埋めようとする。そう、短期的な穴埋めに奔走し、自分を貫く長期的で堅固な軸がない。短期的な快楽の享受に終始している。人生に連続性がない。

メタった状態で存在意義モードから脱出しなければならない。短期的にではなく長期的に。そうした強さが欲しい。人生の目的は自分の穴をひたすらに埋めていくことではない。埋めても埋めても、穴は出てきてしまう。

穴を自ら必死に埋めようとするのではなく、勝手に「埋まる」状態を作らなければならない。毎度のように、埋まっては穴が空き、穴が空いては埋めるの繰り返しでは、サステナブルではない。意図しなくても勝手に埋まる環境を構築し、自動化しなければならない。「気づいたらずっと埋まっている」状態が理想。

サステナブルに穴が埋まりやすい環境を構築する手段として、どんなことが考えられるだろう。

1つ挙げるとすれば、それは他者や世界の穴を僕が埋めてあげることだろう。人間は、自分の穴が埋まっていないと他者の穴を埋めようとしない。できるだけ穴のない社会を構築することで、回り回って自分に何か返って来やすい環境を作ることができる。そのためには、自分が優秀にならなければならない。仕事ができるとは、最終的には他者の気持ちが想像できるようになること。英語も、経済も、時事も、工場も、物流も、ITも、人間が作り出したもの。勉強とは、突き詰めればより多くの人の気持ちが分かるようになることと同義。勉強すれば、人の穴を埋めやすくなって、巡り巡って自分の穴が埋まりやすい世界になっていく。自分の観測範囲内の世界を豊かにするためには、自分が優秀にならなければならない。優秀になることは手段だ。

〈勉強→他者の穴埋め→埋まりやすい環境構築〉

環境構築は、色んな所に種を撒いておくイメージ。考え方をまるっと変えないといけない。これまでの繰り返しはもう嫌だね。

学生時代、僕はインスタントな穴埋めに終始していた。これからは埋めようとしない。埋まるような世界にする。底上げによって穴の深さが浅くなっていく感覚が欲しい。最初は我慢が必要かもしれない。でもそれが自然にできるようになれば、いいじゃんね。今までは、インスタントであると同時に、極めて利己的だった。周囲を、自分の承認の道具として扱ってきた。しかし、道具視は長期的な環境構築に繋がらない。なぜなら、道具とは替えの効く存在だから。インスタントに取っ替え引っ替えし、穴を埋めては穴が空き、また別の道具で穴を埋めることを繰り返してきた。環境は、持続可能でなければならない。俺周囲の環境に水をやることで、サステナブルなスモールワールドを形成していく。