ラディカルな転倒

一般企業で働いています

解脱しましょう。スタンプラリーをやめて。今まで、僕はスタンプラリーをしてきた。それは穴を埋めるため。承認欲求を獲得し、自分の人生を意味あるもので敷き詰めようとするため。でもそれって、キリがない。想像を超える体験を得ることはできない。刹那的な快楽に過ぎない。メタ快は得られない(もっとも、スタンプを獲得しようとする志向性そのものはメタ的である)。コンテンツでしかない。スタンプラリーとは、「意味」を取りこぼさないようにしようとする態度のこと。一度何かそこに「意味」があると感じたら、もうそれを逃すことが苦痛で仕方なくなってしまう。MYの言う通り、そうしたメタ的なスタンプは社会的に形成されたもの。内発的動機で動いていたと思ったら、実は外発的に形成されたスタンプを俺は追い求めていた。自分の内側から湧いて出てきたと錯覚しがちだが、社会的に当該の行為に価値があると思わされているものばっかり。コンテンツをやめて、没入しよう。そこで初めて僕は生を始めることができる。

最後のスタンプの回収を自らの意思でやめた。これをスタンプラリーの終焉の象徴として「本当にやりたいこと」を希求する人間に変わる。その最後のスタンプは、きっとこれからの人生の過程で非メタ的に達成されると期待する。だから、そのスタンプは残しておく。そうすることで、学生時代から社会人への連続性が保たれる。

「これがあの時残しておいたスタンプか」ってなったら面白い。発展可能なスタンプとして後回しにしておく。忘れた頃に、押すのではなく押されるだろう。没入している間に、熟成して、茶番的な交感から真の交感(=インタラクション, ロマンティシズム)へ転換するに違いない(メタ的スタンプから、内発的、非コンテンツ的スタンプへ)。(つまりこのスタンプはスタンプでありながら内発的であるという矛盾を孕んだスタンプである)。真の交感は、メタい会話を4時間続けた後の「入れ子になってよく分からなくなっちゃったね」で始まる。このスタンプはこっそりとっておく。10年後、あるいは20年後の僕へ。